夕方、順天の仕事を終え車で会津若松の竹田病院に向かった。
昨晩の叔父の話だと、9日朝妹(節子)から突然電話がかかって来た。
「ママが大変だ」。叔父は慌てて叔母と二人で、母と妹が住む実家に駈け付けた。
玄関を開けると母が苦しそうに倒れていて動かすこともできない状態だった。
救急車で地元の南会津病院に搬送された。
残念だが手の施しようがなく、再度救急車で42キロ離れた会津若松の竹田病院に運ばれた。
呼吸が出来ないため緊急手術でのどに管を通した。
母は意識はあるものの顔色も悪くどうなるかわからない。
一刻も早く母に会いたい。ハンドルを握りしめ心で祈った。
「あっちゃん、落ち着いて。大丈夫だから」。
マリ子が助手席からはやる気持ちを抑えてくれた。
会津田島に帰る車中はいつも冗談で明るさいっぱいだったのに。
病室に入ると、のどに管を通された母の姿を目にした。
弱音を吐かない母だが苦しそうだった。辛そうだった。
「元に戻って欲しい」以外何も考えられない。
先月4日早朝東京に帰るとき、「今度は年末だな。気を付けて帰ってよ。仕事無理すんなよ。マリちゃんよろしくな」。
元気な母だった。いつもの母だったのに‥‥。
夜、主治医の坂井利彦先生にお会いした。
病院に搬送されてきたときは呼吸困難で生きるためにはのどに管を通すしかない状態であったことを聞かされた。
これからのことは検査をしないとわからないとも。
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