1025室は広い。
入り口のカーテンをくぐると右側に洗面所、その脇の扉を開けるとトイレとシャワー。シャワーは使ったことがないが。夏だったらきっと大活躍であっただろう。
通路を進むと左側に母のベッド。母の周りは医療機器に囲まれている。
右奥手前に机とソファー。ちょうどシャワー室の隣だ。机の上にはお茶のセットとメモ帳。
コーヒー、紅茶、日本茶、砂糖などマリ子が整然と並べる。
メモ帳には1日おきに会津田島から節子(妹)を連れて見舞いに訪れる叔父(大山宏・KA教育相談役)、叔母(キヨイ)からの伝言が記されてある。
マリ子も東京に戻る際メモを残す。70歳を越した叔父、叔母も42キロの道のりはきつい。
本当に有難い。
ソファーの下をあけると持参してきた生活用品、食料品で一杯だ。
夜は私の寝床。マリ子は通路に簡易ベッド。
ソファーの奥に小さな冷蔵庫。
母のおでこと左首を冷やすアイスノンと冷えピタが所狭しと出番を待っている。
アイスノンは3時間おき、冷えピタは1時間おきに取り換える。母は痛みだけでなく熱とも戦っている。
ビールは3人の夜の楽しみだ。母は最近あまり飲まなくなった。
入院前は毎晩あんなに晩酌していたのに。入院してからも大みそかの晩も正月の晩もあんなに喜んでいたのに‥‥‥。
部屋の奥は一面大きな窓。西側になる。会津盆地が広がる。今は真っ白だ。
北西は雄大な飯豊山がそびえたつ。
窓に面した棚にはテレビと焼酎が入った器が二つ並ぶ。
昨年母の日と誕生日(10月18日)に贈ったものだ。
一つには「感謝・健康長寿」。
もう一つには「昭子の酒」と筆入れして頂いた。喜んでいたっけなあ。
母から見て右側の壁にカレンダー。このカレンダーに私たちの予定を記す。
病室に泊まる日は青まるで囲む。余白には「東京へ」、「会津若松へ」と。
母はいつもこのカレンダーを見て私とマリ子がいつ来るのか、いつ帰るのか気にしていたようだ。
近頃は「田島に帰りたい」と言わなくなってしまった。あんなに帰りたがっていたのに。
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