今年も妻マリ子、母昭子、妹節子と家族4人で穏やかな正月を迎えることが出来た。本当に有難いことだ。
2001年(平成13年)の正月は今でも忘れることが出来ない。世間では新世紀の到来にみんな沸いていたような気がする。周りの人がみんな幸せの絶頂のように思えた。「今に見ていろ。絶対にやってやる。事業を成功させてみせる」。現実の苦しい生活の中でも希望があった。夢を抱いていた。やる気だけは凄かった。成功を信じていた。自分を信じるしか道はなかった。自分がやらなければ‥‥。心底家族を喜ばせたかった。
会津田島でも午前0時に花火が上がると聞いて、4人で窓際に行った。窓の外は一面真っ白で雪が降っていた。窓を開けると一気に冷気が部屋に入ってきた。息が真っ白になった。勢いよく花火が上がると、真っ暗な夜空が一瞬色鮮やかに染まった。感動した。21世紀がやって来た。「よし、頑張ろう!」。身体の底から力が涌いてきた。
起業してまだ1年。どん底から微かな光を目指し必死に生きていた。金がなくても文句一つ言わない妻に支えられた。右手、右足の不自由な母に励まされた。生まれつき身体の不自由な妹の笑顔に救われた。「乾杯」が「頑張れ」に聞こえた。みんなの励ましに心から感謝した。
今年も4人で正月の「乾杯」をした。母が「今年も宜しくお願いします」と言った。昨年の目標を全てやり切っての「乾杯」に感激した。「乾杯」できる幸せを実感した。
19世紀のイタリアの作家が「人間の中で最も栄光のある人でも、母親を悲しませ、軽蔑するようでは、ただのちっぽけな人だ」という言葉を残している。親を大事に出来ない人は、どんなに偉くなっても、有名になっても、裕福になっても人生の敗北者である。今年も、感謝、感激、感動の日々を送りたい。
============過去の記事はココから============
父親を早くに亡くし、それから大学まで行かせてくれた母親には感謝してます。母親には親孝行しなければと思ってますが、全くできていない自分が情けなく思います。何のために大学に行ったのか、何のために東京に来たのか、自問自答する時期もありました。でも、嘆いていてしょうがないので、1日も早く母親を安心させるように頑張って行きたいと思います。
投稿情報: KENT | 2009/05/27 03:41
雪の中での花火とは、なかなか見れない光景ですね。素敵だなぁと思います。
新年早々、体調を崩してしまいました。
親は二人とも熱をだしているなか、長女は、気を配り、氷枕を用意し、体温計を持ってきてくれて、飲み物も用意してくれた。6歳の娘に対して感謝の気持ちでいっぱいでした。
投稿情報: aya | 2009/01/22 08:47
最近は酔うまで酒を飲まなくなった。
正確に言うと飲めなくなった。
やはりビールが一番旨い。
数年前、健康診断で高脂血症と診断された私はこのままでは大変なことになると思い続けて今日までビールを飲んできた。
思っていただけで特に健康を気遣ってこなかった。
来年もみんなと乾杯が出来る様に健康に気を付け今までで一番健康の年にしていきたい。
投稿情報: 320 | 2009/01/13 17:53
不覚にも風邪の予兆を感じ、完全防備で家族外出しました。
しかし、節々が痛み、「きたか?」と的中。病院へ行き薬を飲み安静にしていたが、子ども達もそして妻までも全員が「風邪?」にかかり最悪の状態でした。
長女が一番重かったのですが、回復が一番早く、次女が軽度と油断した途端、再度病院へ直行したところ、インフルエンザであったことが後の反応検査で判明。
私と妻は、正月から約1週間微熱と節々の痛みに耐え、回復状況になりました。
やはり、家族ですね。喜びも辛さもみんなで分かち合えた瞬間でした。
投稿情報: ピンポン | 2009/01/10 19:08