19日午後3時雪の会津若松に戻って来た。
東京に帰って仕事をしても母のことで頭が一杯になった。
マリ子(妻)に勧められても食事がのどを通らない。
「よくなって欲しい」だけの毎日であった。
東北道を北上し郡山から磐越道に入ると雪が舞ってきた。
会津若松インターに差し掛かった頃は真っ白で視界も狭い。
会津の冬は早く長い。
8日ぶりに母と会った。
前回に比べると意識もしっかりし、顔色も多少戻って来たように感じられる。こちらの話が理解できることが嬉しい。ただ母が何を言っているのかわからない。辛い。
看護師さんは「徐々にお互い慣れてきますよ。
焦らないで。ゆっくり。のんびり」と。
また「お母さんは偉いですよ。痛みに耐え。愚痴も言わず。病気と闘っています。
私たちも全力で応援します」と。
感謝で涙がとまらない。
夕方、坂井先生と面談。
沈着冷静な先生から検査の結果を知らされた。「甲状腺の未分化癌と判明。悪性で進行が早く生存率も低い。治療も効きにくい。
癌の場所が首の動脈近くで大きすぎるため手術が出来ない」と。
手術で取り除くというたった一つの希望さえ奪われてしまった。失望。
その時先生から 「放射線治療やりますか?うまくいけば少しでも長く生きることが出来るかもしれません」。
このまま何もやらなかったら「もう終わり」と母も感じるだろう。かけるしかない。病室に戻り母の思いを聴いた。
「やる」。母も私とマリ子と同じ気持であった。病気と闘おう。やっつけよう。
3人で手を握りしめた。無我夢中だった。
坂井先生に私たち3人の意思を伝えると、「やるなら早く始めましょう」。先生の本気が伺えた。23日開始。
絶対治る。
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