一昨日会津に帰って来た。夏休み期間は学校へ行くことがないため、出来る限り母親や身体の不自由な妹と過ごすようにしている。
今年4月28日、叔父が60歳という若さで他界した。まだまだこれからというときだ。母には3人の弟がいて、亡くなられた叔父は次男ということもあり、小さいときから一度言い出したら引っ込めない「きかん坊」だったそうだ。義理人情に厚く、人の面倒見がよく、友人が沢山いた。中華料理店を営んでいるが、その腕は抜群だった。私たちが会津に帰って来た晩は、叔父の店にみんなで集まって、うまい料理と会津の酒で盛り上がるのが恒例になっていた。久しぶりに帰って来た私に「あっちゃんうまいか?」と笑いながら話しかけてきた。そんな笑顔はもうどこにもない。
「人間はいつかはいなくなる」ということを知っていても、身近な人がいなくなってしまうと、人生の大切さ、短さ、重さを改めて考えさせられる。一度しかない人生だから「やりたいこと」を真剣にやり、思いっ切り生き抜きたい。
今、目標がなく、夢も希望もなく、なんとなく生活しているような子どもたちが少なくない。もったいない。可能性にチャレンジして欲しい。日々の生活の中で、「何のために生きるのか?」、保護者や先生方には熱く語り続けて欲しい。そして私自身も教育現場で、本気になって子どもたちに伝えていきたい。「やれば出来る!」を。
叔父の笑顔は私の心の中で生き続ける。
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坂さんコメントありがとうございます。今でも会津に帰って来ると叔父がいるような気がします。人生の目標を忘れず、日々本気に生きるだけです。
投稿情報: KA | 2007/08/07 08:03
身近な親戚が亡くなると、改めて「死について」考えさせられるものだ。死ぬことと生き方、日常生活の中でどこまで考えられるか。死後の世界をどう捉えるか、しかも本気で。これが生き方に通じていくということである。頭で思っても、本当にそう思えるかどうか。結論はどう生きるかに関わっていくということが意味があるし、それが大事なこと。今を真剣に生きることになるのではないか。
投稿情報: 坂 | 2007/08/06 08:57
ピンポンさんコメントありがとうございます。人生の主役は自分です。映画でも主役は最後は必ず勝つようになっています。お互い思い出に残る人生を歩んでいきましょう。
投稿情報: KA | 2007/08/04 09:43
私も少年時代から大変にかわいがって頂いている叔父がいます。私にとっては人生の恵匠の存在です。
最近、「ガン告知」を受け余命宣告をうけました。本人も大変辛いと思いますが、私もショックでした。
先日、飛行機で北海道へお見舞いに行って思い寄せる気持ちを堪えるのが大変でした。
病魔との戦い。「何のために生きるのか?」人の一生は、まさに人生劇場の主人公。見事に演じた姿から、悲しみも、そして喜びも学び自分に問いかけたいと感じました。
投稿情報: ピンポン | 2007/08/03 14:14