妻(マリ子)の両親の墓参りに行った。毎年3月、9月に決まって伺う。どんなに忙しくても必ず行く。二人が行くことを両親が楽しみに待っていてくれるから。
マリ子の父親は明治生まれで宮大工をされていたという。マリ子が小学校1年生のときに病気で亡くなられた。だからマリ子は父親との思い出は少ない。
実はマリ子の父親が亡くなった病院の近くに土地を買い家を建てて住んでいる。偶然だが、マリ子の父親に呼ばれたのではないかと勝手に思っている。そばにいるのだからこれから一緒に沢山の思い出を作りたい。
母親は女手一つで子ども3人(マリ子の兄、姉、マリ子)を育て上げた苦労人。昨年13回忌を終えた。
墓前に手を合わせ、「お父さん、お母さん、ありがとうございます」と心の中で語りかける。
返事はないが、「いつもマリ子をありがとう。わがままな娘だけど、これからもよろしく頼む。身体に気をつけて仲良く頑張れ」と聞こえてくる気がする。いくつになっても末っ子は心配なのだろう。
帰りの車は来るときより重い(気がする)。いつものことだ。「きっとお父さんとお母さんが後ろに座っているんだよ」って二人で笑いながら話す。特に重いときは「今日は友達も一緒に連れてきたんじゃないのか」なんて冗談を言う。
当たり前のことだが両親がいなければマリ子もいなかった。
両親に「よくやった」と褒めてもらえる人生をおくりたい。
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私の両親は健在です。たまに実家に帰ると喜んでくれます。そして必ず帰り際にいろいろな物を持たせてくれます。大人になっても子供を思う気持ちいつまでも同じですね。健康でいることも親孝行ですが、顔を見せればもっと親孝行ですね。
投稿情報: 寺田 誠司 | 2008/04/06 23:03
産み育てて頂いた両親への「感謝」。きっと走馬灯のように幼少期からの記憶が蘇ってきたことでしょう。
幸い私の場合は両親が、妻の方も両親とも健在なので、いつも気を使ってもらっています。ただ、健康面(メタボリック)にも気を使わせてしまっています。
今度再開するときには何とか減量したスリムな姿を見せられたらなあと、イメージしています。そうなれば、褒められる一つになるかもしれません。健康は何事も資本と受け止めて。
投稿情報: ピンポン | 2008/04/04 17:14
私は父と最愛の祖母がもう他界していません。懐かしむと涙がジワっとでてきてしまいますが、生前に教えてもらった事を想い返しながら、今ある自分に感謝しています。
追善供養はとても大事なことだと思います。
今、生きて元気でいる母を最大にもっともっと大事にしていきたいと思います。
投稿情報: こづ | 2008/04/03 17:54
一時期、父が入院した時はビックリしました。
一番ビックリしたのは母だったと思います。
母方の叔父も父が入院している病院に以前から入院しています。
しかし、母は元気に、前向きに物事を考え、足しげく通っていました。
母の存在が家族を大きく支えてくれているのだと改めて感じました。
今、妻と妻の母と3人で暮らしています。
やはり義母が元気だと家の中は明るいです。
みんなで明るく楽しく暮らせていることに感謝します。
いつも元気でいてくれて有難うございます。
投稿情報: 320 | 2008/04/03 00:03
今は褒めてもらえるような息子ではありませんが、両親の元気なうちに、何かしらの親孝行はしてあげたいと思っています。
何もできることはなくても、日に2、3度は笑顔を見せてあげたいと思います。
投稿情報: ダンテ | 2008/04/02 19:12