大原簿記学校時代の恩師、光友直栄先生と飲んだ。お忙しい中、わざわざ板橋本町まで来て頂いた。「富久鮨」「にりんそう」「とまと」と行きつけをはしごした。久しぶりに無邪気な子どものようになって、時がたつのも忘れ心底酒を楽しんだ。光友先生は現在、大原学園の理事であり、大原簿記学校の校長としてもご活躍されている。
先月、仕事帰りに妻と二人で神保町の量平寿しに行った。4~5人のお客がカウンターで酒を飲んでいた。その奥の席に着いた。妻の隣の席の方から聞き覚えのある声が耳に入ってきた。何気なく目をやると、そこにあの光友先生がいた。ビックリした。昔の同僚たちと盛り上がっていた。仕事の話のようなので声をかけるかどうか躊躇した。「光友先生」。一瞬、時間が止まった。次の瞬間、「菊地!」って呼ばれて抱きつかれた。「何で菊地淳がここにいるの!」。酔いもあったがお互い興奮に包まれた。10年ぶりであった。一気に昔の時代にタイムスリップしてしまい、10年の歳月を埋めるのに時間はかからなかった。初めてお会いする妻も二人の偶然の再会を驚いた。夜も遅くなったので再会を約束し家路についた。
大原に入社したばかりの新人時代からよく飲みに連れて行って頂いた。授業の進め方や生徒指導を教わった記憶はあまりないが、箸の持ち方や醤油の漬け方、マイクの握り方は随分教わった。いつも話がユニークで人を飽きさせない。偉ぶらない。何より人情味溢れる性格の持ち主である。当時、毎日毎日が戦いだった。辛く、苦しく、正直職場に行きたくない日もあった。教室の空気がずしりと重くのしかかる日もあった。「何で俺ばかり」と上司を恨んだ日もあった。今思えば、辛いことも、苦しいことも全部「いい思い出」になった。全て自分の財産になった。妻がよく言う。「世の中に無駄はない。大原に鍛えてもらえてよかったね」って。今は嫌でも将来きっと役に立つときが来る。みんな頑張れ!
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自分の欠点や短所を指摘してくれる人がいることは、素晴らしいことだと思います。
私も昔から、「短気は損気」とよく言われた。その時は、うるさい・嫌だと思ったが、今では、そう言ってくれた人のおかげで、少し成長できた気がします。
投稿情報: aya | 2008/11/26 21:20
私も先日ですが、ピンポンを大学時代までに一緒に行っていた後輩(女性)に再会しました。
東京に娘さんとお姉さんと本人の三人で上京するとのことで、数分間でしたが、会話をすることが出来て大変懐かしく思えました。
後輩はすっかりママになっており、昔のようなキャピキャピ感もなく、どっしりと逞しいママになり安心しました。
縁とは不思議なもので、またいつかお互いが年を重ねた時に一層、喜び語れる間柄になることを楽しみに、大切に日々送ろうと思いました。
投稿情報: ピンポン | 2008/11/26 20:52
箸の持ち方が変だと良く言われた。
今でも言われる。
大人になってちょっと恥ずかしい。
常識と言うのは自分の中での常識が周りの人にとって非常識であることも多々ある。
歳はとっても知らないことだらけ。
色々なことを教えてくださる方には感謝しなくてはいけない。
うるさいなと思うくらいの人の方が後々、感謝する時が来ると思う。
今はうるさいと思うけど。
これからの人生にとってあとで苦労するのか今、苦労したから今の自分があると思える生き方をするのかが常に問われている。
投稿情報: 320 | 2008/11/25 18:20