会津田島から帰って来るとき妻(マリ子)と二人で仏壇に手を合わせた。
13年前に89歳で亡くなった祖父(留次)と49年前に50歳で亡くなった祖母(よし)の写真がおかれている。いつも「頑張れ」、「身体に気をつけて」と励まして頂いているような気持ちになる。
南会津郡下郷町倉村に生まれた祖母は私が母のおなかにいるときに癌で亡くなった。「絶対治す」と誓った祖父が新潟大学の教授にお願いしたが手遅れであったという。無念だったことだろう。会ったことはないが、いつも母から聞かされていた。「ばあちゃんは人情味溢れている人でいつも人が寄ってくる人だった。知らない人でも家の前を通ると、『あがりゃっせ』(上がってください)」と。
同じく南会津郡舘岩村(現南会津町)に生まれた祖父は頭がきれて仕事が出来た人だったという。兄弟が多く一番バッチ(下)に生まれたため尋常小学校を卒業して十代で会津田島に出て来たそうだ。大工として10年以上下積みを経験し28歳で会津田島に家を建てたという。たいしたもんだ。その苦労は計り知れない。戦争に行くときも、祖母、母(昭子)、叔父(宏)が一生暮らしていけるだけのお金を残したという。残念ながらそのお金は戦後全く価値を失ってしまったそうだが。戦争から帰って来たあとも田島町の発展のために様々な役職を受け責任を果たしてきたそうだ。
祖父は「受けた恩は石に刻み、かけた情けは水に流す」とよく言った。自分の妻(私の祖母)の兄弟の保証人になり、結果としてその借金を全て背負った男の言葉は重い。人はみな自分がしてあげたことは覚えているが、してもらったことは忘れてしまうものだ。子どもたちに財産として何も残せなかった祖父かもしれないが、やってきた事実は誰人も否定できない。
叔母(キヨイ)いわく。「あっちゃん(私)が一番爺ちゃんに似ている」と。嬉しい限りだ。これからもじいちゃんに褒めてもらえるようにもっともっと頑張ると決意した。
============過去の記事はココから============
父方のお祖父ちゃんの命日と私の誕生日が同じである事から生まれ変わりだと喜ばれたとのこと。
お祖父ちゃんには会った事はないですがお祖父ちゃんの事は一生忘れません。
投稿情報: 320 | 2009/08/27 07:49
先祖を思い、敬うことは尊いと思います。
私の祖父母も既に他界していますが、幼少期の思い出があります。
祖父母ならではの愛情をもらい、本当に懐かしく、これからもその心を
大切に生きていこうと思う。日本のお盆、8月は本当に良い時期と感じます。
投稿情報: ピンポン | 2009/08/26 20:38