高校1年生のとき父と母が離婚した。母に連れられ会津田島(母の実家)に行った。高校も転校した。一時成績も下がったが「田島で一番になる」と決意し卒業まで頑張った(お蔭様で田島高等学校を首席で卒業できた)。
父がいなくなったあとは叔父(宏・KA教育相談役)が父代わりであった。叔父は厳しかった。「ダメはダメ」と。まさしく会津藩の「ならぬものはなりませぬ」であった。その影響を受けて今の自分がいる。本当に有難い。
叔父に、「あのときがあるから今がある。本当にありがとうございました」と言うと、「そんなことあったかなあ。何もしてねえ。もしそう言うのなら当たり前のことをしただけだ」とさりげなく言う。当時は叔父の子どもたち(宏英、真由美、宏宗)より可愛がって頂いた。自分の子どものように育てて頂いたと感謝している。
人はやってもらったこと(助けて頂いたこと)は絶対に忘れない。
大原簿記学校の教員になって5年目のことだっただろうか。1年先輩の先生が私の前で「こいつ(私のこと)は変わっているよね。」って言った。聞いている先輩教員も「そうだ」と頷いた。屈辱だった。一生懸命頑張っているのに何でそんなことを言われなければいけないのかと思った。悔しかったが平静を装って聞こえないふりをした。26歳の頃だっただろうか。
その後30歳で課長に抜擢された。そのときの先輩教員は直属の部下になった。面接のとき、そのときのことを言った。「そんなことありましたっけ。菊地先生の記憶違いですよ」と笑いながら言った。本心だと思う。
人はやられたこと(いじめられたこと)は絶対に忘れない。
良いことでも悪いことでもやった方は忘れてしまうかもしれない。が、やって頂いた方、やられた方は絶対に忘れない。
子どもたちにも必ず伝えておきたい。人間の機微を。コミュニケーションのポイントである。
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教員対生徒という関係でも、同じようなことが言えると思います。
何気なく言った一言、何気なく行ったひとつの動作が生徒に影響を与えるものなんだなと卒業生と一緒に酒を飲んでいると感じます。
自分自身も一つ一つの言動を意識していきたいと思っています。
投稿情報: ネコヤン | 2009/08/27 08:04
友達をからかってたら自分がそうなるよと周りからよく言われた。
振り返ってみると本当にそうなった。
気をつけたい。
投稿情報: 320 | 2009/08/27 08:00
人生の途中で、嬉しいこと、辛いこと。多くの積み重ねは、自身を成長させてくれることがあると思います。
私も大学受験で失敗した時に、既に他界した叔父さんから「第一志望の大学に落ちておめでとう!」と言われ、その時は頭に血が昇りましたが、後から良い経験だったと大学受験に落ち込んでいる青年へ語る機会を頂き、少しは役にたったなと感じてます。
投稿情報: ピンポン | 2009/08/26 20:45
「『おバカ教育』の構造」(阿吽声望日新報道)が、教員に大きな衝撃を与えています。
デタラメで腐敗した教育との指摘、どのように受け止めますか。
投稿情報: N.M | 2009/08/22 21:00