大地震から2日目になった。依然余震が続いている。夜中でも余震が来ると目が覚める。11日の映像が脳裏に浮かぶ。
11日の夕方自宅に帰るタクシーの中で妻、会津の母、母の近くに住む叔父、KA教育の小川君、娘の美和に何度も何度も電話した。携帯も固定電話も全く通じない。この時ほど携帯の力のなさを恨めしく思った。みな大丈夫だろうか。みなの無事を知りたかった。自分の無事を知らせたかった。何度もかけているうちに会津の母とつながった。「田島は大丈夫だ。凄い揺れで怖かった」。母の声に安堵した。実家には母と妹が住んでいる。2人とも身体が不自由だ。特に母は右手、右足が動かない。よかった。しかしその後は全く通じなくなった。一瞬でもつながったことがラッキーだった。
自宅に戻り会津の叔母と連絡がとれた。地震のとき叔父は会津若松の病院に定期検査に行っていた。本家には69歳の叔母と86歳の祖母の2人だけ。叔母は祖母を背負って裏の畑に避難しようとしたが祖母が動けなくなってしまった。じっとしているしか術がなかった。叔父は検査が中止になり無事に田島に戻って来れた。
娘からメールが届いた。都営三田線の電車の中で地震にあった。水道橋で電車を降ろされ白山まで歩いた。白山でタクシーに乗れて無事家に着いたと。
KA教育の小川君は地震の後、一人でいる妻(専務)を心配して来てくれた。本当に有難い。小川君の実家は青森八戸。地震の後お母さんとの連絡が取れず心配していた。12日の夜になってやっと無事を確認できた。本当に良かった。お母さんは避難所にいらっしゃる。
みな無事で本当に嬉しい。感謝しかない。有難い。
岩手、宮城、そして実家のある福島では被害が大きい。行方不明の方々が家族の元に早く戻って来て頂きたいと心から願う。
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被災地の早期復興と亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。
私にも出来ること、節電、節水、買占めをしない。
投稿情報: イチゴ | 2011/04/08 16:56