3月11日午後2時46分、その時私は南浦和の駅前の書店にいた。
K高校のM先生との新年度の打合せを終えて駅に向かった。昼食を摂っていなかったので妻に赤羽で待ち合わせしようと電話した。いつもならすぐに「わかった」と言って電話を切る。でもこの日は「友人が3時に来るからすぐに行けない」と。待ち合わせしなくて良かったと後で思った。駅に入らず書店に立ち寄った。何冊か興味のある本が見つかりレジに向かった。突然レジにいた書店のおばさんが「地震ですよね」と私の方を見て話しかけてきた。不安げな様子だった。大したことがないと思った。ところが一気に揺れ出した。凄い揺れだ。おばさんは大きな声を上げた。店にいた2人の女性客は座り込んでいた。外を見ると向かいのパチンコ店から一斉に大勢の人たちが飛び出してきた。映画のワンシーンのようだった。なかなか揺れが治まらない。外に出ると隣のビルが大きく揺れていた。書店の中に戻った。ようやく揺れが治まった。こんなに長い時間揺れていたのは初めてだ。駅に行くと人だかりだった。妻に電話が通じない。無事が確認できない。会津の母にも叔父にもかからない。不安で一杯になった。1時間半タクシーを待った。待っている間も大きな余震が2回。周りにいた方の多くは60歳を超えているようにみえた。みな不安な面持ちだ。震源地は三陸沖だと誰かが言った。被害が小さければいいのに。ここにいる人たちもみな無事に家に帰れるように。心の中で祈った。
タクシーで1時間。どうにか家に辿り着いた。タクシーの中でも妻への電話が通じなかった。何回かけてもだめだった。無事でありますように。祈るしかなかった。ベルを鳴らすと妻が急いで出て来た。安堵した。妻も私が心配でならなかったと話した。
人間はよく「何もないといいことがない」と言う。
私はそうは思わない。何もないことが本当にいいことだ。幸せなことだ。いつものように生活できることが最高だ。
こんな大きな地震にあって改めてそう感じた。
妻に言いたい。無事でありがとう。
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誰もが不安に思った時間。
とても長く感じた。
いつでも、便利に使ってる電話が繋がらない。
益々不安になる。
いまだに連絡が取れない人が被災地に居ると思うと、胸が痛む。
早く安否が分かりますようにと、祈るばかり。
投稿情報: イチゴ | 2011/04/08 17:04