先日、高校時代からの大親友、渡部秀喜君(県卸酒造課長)の自宅に妻と母と妹と4人で伺った。秀喜君はお父さん、お母さん、奥さん、3人の子どもたちと7人家族だ。夕方3時30分から9時30分まで6時間も美味しい料理、旨い酒でもてなして頂いた。昔話に花が咲き笑いが絶えない時間を頂いた。
高校1年の11月に埼玉から会津に転校してきた。クラスですぐに友達が出来た。が、一番仲良くなったのは隣のクラスの秀喜であった。初めて家に連れて来た時、母と秀喜の会話から秀喜のお母さんも母の中学校時代の親友だということがわかった。みんな驚いた。縁は凄い。その日から行き来が一段と増えた。ある時は秀喜が泊まりに来る。次は彼の家に泊まりに行く。秀喜の家には元気な婆ちゃんがいらっしゃった。遊びに行くといつも「あっちゃんよく来たな」と笑顔で迎えてくれた。朝食の時はごはんを茶碗一杯よそって出された。「婆ちゃんこんなに食べれないよ」。「大丈夫だ。おらいの(うちの)秀喜なんかいつもこのくらい食っちゃうよ」。秀喜は柔道部のキャプテンで私の2倍は食べていただろう。
高校最後の3月は叔父(大山孝・故人)の中華料理店で秀喜と二人でバイトした。二人で叔父の家に寝泊まりした。上京の2日前叔父が送別会を開いてくれた。「東京行っても頑張れよ」。不安で一杯の私を気遣って秀喜に励まされた。婆ちゃんも最後にお会いしたとき「あっちゃん身体気を付けてな。また遊びに来てよ」と笑顔で見送って頂いた。あの元気な婆ちゃんもその年69歳でお亡くなりになられてしまった。仏壇に手を合わせると「あっちゃんよく来たな」と婆ちゃんに声をかけられた気がした。
結婚式で「たとえ人にしてあげたことを忘れても、人にして頂いたことは忘れない、そんなご夫婦になって下さい」とスピーチする。「いつも感謝を忘れない」そんな人間でありたい。
高校1年の11月に埼玉から会津に転校してきた。クラスですぐに友達が出来た。が、一番仲良くなったのは隣のクラスの秀喜であった。初めて家に連れて来た時、母と秀喜の会話から秀喜のお母さんも母の中学校時代の親友だということがわかった。みんな驚いた。縁は凄い。その日から行き来が一段と増えた。ある時は秀喜が泊まりに来る。次は彼の家に泊まりに行く。秀喜の家には元気な婆ちゃんがいらっしゃった。遊びに行くといつも「あっちゃんよく来たな」と笑顔で迎えてくれた。朝食の時はごはんを茶碗一杯よそって出された。「婆ちゃんこんなに食べれないよ」。「大丈夫だ。おらいの(うちの)秀喜なんかいつもこのくらい食っちゃうよ」。秀喜は柔道部のキャプテンで私の2倍は食べていただろう。
高校最後の3月は叔父(大山孝・故人)の中華料理店で秀喜と二人でバイトした。二人で叔父の家に寝泊まりした。上京の2日前叔父が送別会を開いてくれた。「東京行っても頑張れよ」。不安で一杯の私を気遣って秀喜に励まされた。婆ちゃんも最後にお会いしたとき「あっちゃん身体気を付けてな。また遊びに来てよ」と笑顔で見送って頂いた。あの元気な婆ちゃんもその年69歳でお亡くなりになられてしまった。仏壇に手を合わせると「あっちゃんよく来たな」と婆ちゃんに声をかけられた気がした。
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生涯の友人を大切に。
身近な人も大切に。
思いやりの気持ちを忘れずに。
口は、禍の元。
言動に気を付けよう。
投稿情報: いちご | 2013/05/22 15:36
人間は忘れる生き物だと言われてますが、感謝の気持ちだけは忘れないように心がけていきたいです。
投稿情報: TMB | 2013/04/17 12:56
感謝を忘れないことはあたりまえのことですが、できていなかったなと反省することがあります。感謝の気持ちを忘れずに日々生活していきたいです。
投稿情報: tivit | 2013/04/16 08:06