会津から帰って来る前日、本家(大山宏・叔父)にご挨拶に伺った。
母(昭子)は平成元年に51歳の時脳出血で倒れ右手右足が不自由になってしまった。苦しくきついリハビリに挑戦し小料理店を再開した。左腕一本で商売に挑んだ。家も建てた。いつも「負けてらんねえ」(負けない)と自分に言い聞かせていた。たいしたもんだ。頭が下がる。家のことも料理、洗濯、掃除すべて一人で頑張った。
妹(節子)は生まれつき身体が不自由で小学校から福島の磐梯学園にお世話になった。読み書き、そろばん、何もできない。母が店を再開した時学園から家に戻って来た。店を手伝うためだ。いつも笑顔の妹は常連客からも可愛がられた。誰に対しても「こんにちは」。「元気?」。「また来てなあ」。大きな声でニコニコ話しかけた。いつも笑顔で母を励ましているように思える。妹の存在が母の生きる力の源だ。
気丈な母も一昨年は胃癌を乗り越え、昨年は膵臓に水が見つかった。お陰様で大事には至らずホッとした。足も痛むようでゆっくりしか歩けない。東京に遊びに行こうと誘っても最近は首を縦に振らない。日頃の生活は母の指示で妹が動く。まさに「二人でひとり」だ。
「留守中よろしくお願いします」。叔父、叔母(キヨイ)から「大丈夫だから、あっちゃん(私)、マリちゃん(妻)は身体に気を付けて仕事頑張って」と。有難い。祖母(清子)は「あっちゃん、また田島(現南会津)に来らっせよ(来てくださいよ)。婆ちゃんは来るのをいつも楽しみに待ってんだからなあ」。嬉しかった。長生きして欲しい。
今、東京で仕事が出来るのも多くの人たちに支えて頂けるからだ。本当に有難い。本当に嬉しい。
感謝を忘れず日々努力。そして元気で、笑顔で、またみんなと会いたい。
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勝ち続けることが重要。負けじ魂を持ち続ける精神力を見習いたい。
投稿情報: iいちご | 2013/05/20 13:21
感謝の言葉は自分だけではなく相手も幸せな気持ちになると自分は思うので、これからも感謝と笑顔を忘れずに毎日生活していきたいです。
投稿情報: TMB | 2013/04/25 08:25
自分が今いられるのも家族や友人、お世話になった方々がいたからだと思います。その人達への感謝の気持ちを忘れずに、いつか恩返しができるようにがんばります。
投稿情報: tivit | 2013/04/25 08:03