昨年10月18日、母(昭子・KA教育役員)が75歳の誕生日を迎えることが出来た。
42歳の時子宮に腫瘍が見つかり全摘。退院後すぐに小料理店を出した。私を東京の学校に出すためだ。51歳の時脳出血で倒れ右手右足が不自由になった。1年間の闘病生活を終え自宅に戻って来た。医師からは東京で私と一緒に暮らすように言われたが生まれ故郷の田島(現南会津)を離れたくなかった。小料理店も続け3年後念願の家を建てた。自宅と店を一緒にした。一昨年夏胃癌が見つかった。お陰様で早期であったため8日間の入院で帰って来た。
叔父(大山宏・KA教育相談役)がよく言う。「昭ちゃんは本当に運がいい。埼玉にいるときは一度も健康診断していなかった。田島に越して来て初めての検診で子宮の腫瘍が見つかった。田島に来なかったら亡くなっていたかもしれない。脳出血の時もうち(叔父の自宅)に来る途中隣の家の前で倒れた。隣の人が倒れる瞬間を見ていてすぐに知らせてくれた。うちに運んだがすぐに意識不明になった。一人暮らしだったから家で倒れたら誰も分からなかった」と。
毎年10月か11月には紅葉の南会津に帰って来て叔父、叔母、祖母、従兄弟や日頃お世話になっている人たちをお招きして母と妹(節子)の誕生日会を開く。いつも妻(マリ子・KA教育専務)が実行委員長だ。
昨年は仕事の関係で秋に帰って来ることが出来なかった。起業して毎年開いていた誕生日会もできず寂しい思いをさせてしまった。残念であった。誕生日のプレゼントを妻と相談した。亀入りの芋焼酎にした。「健康長寿 お誕生日おめでとう 淳・マリ子」とラベルを作って頂いた。
年末南会津に帰って来た時、リビングの棚に大切に飾ってあるのを目にした。まだ手を付けていなかった。「早く飲めば」。「もったいない」。ニコニコ笑った。いつまでも「健康長寿」でいて欲しい。
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亡くなって解る親への恩と寂しさ。
健康長寿を願う!
自分自身も健康長寿を心がけないとわが子も悲しむ。
投稿情報: いちご | 2013/04/23 17:00
たった一人しかいない母と父だからこれからも大切にしていき、家族の健康を願っていきたいです。
投稿情報: TMB | 2013/04/23 08:05
私もいくつになっても家族を大切にし、親に感謝し続けたいです。会える時はその貴重な時間を大事にしていきたいです。
投稿情報: tivit | 2013/04/22 08:01