いつもお世話になっている富久鮨のマスター美郎さんがおばあちゃんと二人で会津田島にやって来た。おばあちゃんは大変お元気で友人たちと旅行するという。会津にも何度か来られたようだが田島は初めてだ。母(昭子)も妹(節子)も東京に遊びに来るといつも富久鮨に伺うので美郎さんに会うことを楽しみにしていた。
浅草を朝7時30分に出ると10時40分には会津田島に到着する。本当に近くなったものだ。美郎さんは「鬼怒川温泉を越えたらどんどん山になってきたので田島はどんな所だろうと不安になった。でも急に開けたので驚いた」と笑った。
折角田島に来られたので、美郎さん、おばあちゃん、妻(マリ子)、母、妹、叔母(キヨイ)、舞(従弟の子ども)と8人で大内宿に蕎麦を食べに行った。大内宿は江戸時代の宿場町で今でも昔の面影を残している。いつも観光客で一杯だ。妻と二人で長い階段を駆け上がり眺めの良い高台に上った。テレビで観る景色だ。美郎さんもおばあちゃんを連れて着いて来た。今年78歳になるおばあちゃんは本当にお元気で足も強い。「テレビでいつも観ていたので一度行ってみたいと思っていた」と喜ばれた。マリ子も永年の夢が叶って満足気な様子だ。美郎さんも会津の地酒や岩魚の塩焼きに舌を鳴らした。
元気一杯なおばあちゃんと接して母が「私も脳出血にならなかったら今でも元気に歩き回っていたのになあ」と寂しそうに呟いた。「それは違うよ。働きすぎて病気になったんだよ。もし病気にならなかったらもっと働きすぎてもしかしたら今は生きていなかったかもしれない」。自然に言葉が出てしまった。「入院したときもあっちゃん(私)にそう言われたよ」。ニコッと笑った。
20年前、倒れた母の前でそんなことを言ったのか。全く覚えていなかった。でも考えていることは20年前も今も同じなんだ。ぶれていない。我ながらたいしたもんだ。だれも褒めてくれないから自分で褒めた。
田島の最後の夜をみんなで楽しんだ。母もおばあちゃんもいつまでも元気でいて欲しい。
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