道徳教育の重要性を痛感する。都営三田線の車中での出来事。父親が2人の男の子と3人で座っていた。小学校低学年と幼稚園くらいだろうか。子どもたちの脇は半分ほど隙間があいていた。もう少し詰めれば楽に一人分の席が出来る。立っている人が多くいた。子どもを自分の方に引き寄せて「どうぞ」と席を譲ればいいのにと思った。何となくハラハラした。父親は何もしない。全く周りを気にしていない。
次の駅でお年寄りが乗ってきた。親子の前に立った。それでも何もしない。呆れた。同時に子どもたちが可愛そうに思えた。よく見ると賢そうな顔をしている。子どもは教えられたことは出来る。教えられなければ出来ない。親の責任は大きい。親が出来なければ子どもも出来ない。家庭教育は重要である。
きちんと座っていた子どもも飽きてきたのかだんだん騒がしくなってきた。そのとき、子どもたちと半分ほどの隙間を隔てて寝ていた女性が急に子どもに触れた。母親だった。母親もいたのか。驚いた。結局、父親と母親の間に二人の子どもを座らせていたわけだ。母親とは全く気づかなかった。母親の前にも立っている人が大勢いた。母親も全く周りを気にしていない。
この父親も母親も小さい頃、親から何を教わってきたのだろう。この子どもたちが将来親になって、また同じことをするのだろうか。寂しい想いがする。相手を思いやる心が大切だ。家庭で、学校で、地域で、みんなで子どもたちに教えなければならない。特に親の責任は重い。親が変われば子どもも変わる。子どもの成長のためにまず親が成長しなくては。
地下鉄を降りるとき相変わらずの隙間が気になった。無邪気な子どもに責任はない。
============過去の記事はココから============
第一印象の大切さでの私のコメントのなかで、自然に明るく笑顔で挨拶できるようにするために、家で基本的な挨拶をしっかりやっていたことで、子供たちもしっかり挨拶ができようになりました。子供は親を見て育つと言いますが本当ですね。まだまだ足りない部分が多いい人間ですが、子供の見本になれる父親になりたいと思います。
投稿情報: 寺田 誠司 | 2007/11/08 00:24
優先席では優先とされている人がいたら席を譲る。
電車の優先席付近では携帯の電源は切る。
電車内では携帯はマナーモードにし通話はしない。
などのマナーやルールがあります。
それを守る人、守らない人がいます。
全ての人が相手の事を思いやれる人であれば逆に優先席は要らないのかも知れません。
やはり教育はとても大事だと改めて感じました。
そして教える側の責任は重大だと思いました。
自分は毎日のように電車に乗ります。
自分の行動を振り返り周りに迷惑を掛けないように気を付けたいと思いました。
投稿情報: ('э') | 2007/11/08 00:00
「子どもは親の後姿を見て育つ」という言葉の通り、本当に重複する場面を見ることがあります。
結局は、親自身も誠に残念ですが、「道徳観」や「倫理観」の持ち合わせの薄い親であり、自己中心型が世襲と共に増加したように感じます。
日本文化である「恥」や「武士道」のような他国ない素敵な立ち振る舞いが、継承されていないことももったいないですね。
今後、自分の子どもも含めて大変な時代が到来すると思います。社会で「生き残る」ということは、廻りへの配慮は当然。
公共的な場所では、一般人として迷惑行為と何かを家庭教育で重く考えることは、親としての責任と感じなければいけないですね。
投稿情報: ピンポン | 2007/11/07 19:33
とても悲しい光景だと思いました。。。
以前の電車の座席には、何の印もない物でしたが、ここ何年位でしょうか・・?座席にひとりひとりが座る目安の印がつくようになりましたよね。 公共の場はみんなで譲り合って使うことで成り立っていくのだと思います。「公共」で人に気をつかえないのであれば、普段はどんな生活をしている家族なんでしょうか。考えただけでも怖くなります。
親が子に伝えるべきこと。しっかり伝えていきたいと思います。
また、子から教わることも沢山あります。
それが、「家族」だと私は思います。
投稿情報: こづ | 2007/11/07 12:37